遊び—遊ぶ主体の現象学へ

遊びを考える時に,ホイジンガ・カイヨワときて,次に何を足がかりにするかが問題になる.ここで発達心理学のピアジェという選択肢もあるのだが,親の子供のための遊びというより,僕らがなお抱く遊びを考えたい.というわけで,アンリオの「遊び」を入手したのだけど,これかなり良い!

下手に遊びって言いだすと,脳が科学中二病にやられて,定義しようとして,できなくなって,万物はすべて遊びである!とか,芸術もすべからく遊びである!,なんてことになっちゃうんだけど,この本はそこを重点的に突いてくれる.このジレンマを超えて「遊び」とはいかなるものや,と炙りだしている.

この本の初出は1973年だから,TVゲーム以降のことは余り深く突かれていない.今度は,その辺の文献を探って行こう.

そうそう.なにより重要なのは,遊びは,ハマっている自分と,遊んでることを気づいている自分の2つからなること.