博士論文を書いているときのこと

久々にEvernoteに書き留めた研究メモを読み返してたら、こんなクリップが出てきた。

ある時期、私はかなり抑鬱症的になった。その「鬱」は一年以上続いた。それはまるで一匹の動物のようで、非常にはっきりし、どこにいるかも判るよう なものだった。眼が覚める、目を開く、さあ、どうかな、いるかな、いないかな。気配がない。ねむっているのかもしれない。今日は私を悩ませないでいてくれ るかもしれない。そっと、そおっと、私はベッドから起きる。静かだ。台所へ行く。朝食を始める。音はしない。テレヴィジョン? そう「おはよう、アメリカ」。あのデイヴィッド・某なる人物、私には我慢できない男だ。食べる、番組のゲストを見る。次第に食物が胃に満ちてくる、力が湧 いてくる。さあ手洗いに急いで直行する。朝の散歩に出る。ああ、やっぱりいる。我が忠実なる「鬱」よ。「私抜きで出かけられると思ったの」。

村上陽一郎訳『哲学、女、唄、そして…』p.210-211

ちょうど去年の5月に保存されたメモなので、博士論文の真っ最中の気持ちを表してるんだと思う。今にすれば一つの苦い思い出に過ぎないけども、いままさにその渦中にいる人は、なにかしらクルものがあるんじゃないかな。そう思ってポスト。