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仕事の領分

2014年から喫緊な仕事に追われて、新しい創作にとりくむ十分な時間がなかった。そこで2015年はアシスタントを一人頼んで、僕が進行中のプロジェクトに追われている間、新しいプロジェクトを始めるための地ならしをやってもらうことにした。具体的には、関連研究を調べ、先行事例と同じことが再現できるような環境を整え、可能であれば2-3のサンプルコンテンツを作ってもらいたかった。

それが、まったくうまくいかなかった。それは、僕が仕事の分担を誤ったからだ。

僕は自分が得意なことであれば、それを誰かに任せることができると考えていた。いや、そう学生時代に習ったのだ。自分が得意なことなら、成功への道筋も知っている。不味くなったらリカバリーすることもできる。そんなある先生の教えを信じて、自分がやるべき仕事をアシスタントにやってもらった。その結果、思うようにプロジェクトは進まず、地ならしは失敗した。

これ以上は具体的になるから、あっさり結論へと進む。

自分がすべきこと、すなわち誰よりも自分が得意なことは、自分でやったほうが圧倒的に早い。作業が早いと、失敗にも早く気づく。そして、やり直しも早くできる。こうして短い期間に多くチャレンジできるから、最終的な品質は高くなる。一方、自分のできないことは、誰かに担ってもらえるだけで有り難い。たとえ彼の仕事が安定しなくても、自分一人では決して1を超えることがない。そこに仲間が少しでも加点してくれれば、最終的に一人では絶対にできない仕事が達成できる。

逆に、自分の得意なことを人に任せるとなると、任せた人が自分と同じ品質の仕事ができるようになるまで、辛抱強く待たなければならない。自分が今の自分になるまでにに必要だった時間を、気長に用意してあげなければならない。つまり教育的な期間が必要になる。だけど、僕がアシスタントと一緒に働ける時間は、十分に長くなかった。

失敗を経て、ようやく気がづいた。学生時代の先生が言っていたのは、先生が学生を、先輩が後輩を指導するための、教育法だったのだ。学校のやり方を、そのまま別の環境に適用してしまったところに、僕の愚があった。アシスタントの彼も、慣れないことをして辛かったと思う。ほんとうにごめん。

その後、自分の仕事の領分を改めることにした。僕は、漫画でいえば原作ができる。一方で作画は絶望的で、週刊誌で連載するレベルに達しない。だから作画の得意な人と協働すべきなのだ。作画に時間をとられたり、原作を誰かに任せたり、そんなことはあってはならない。なぜなら誰のためにもならないからだ。

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