意識から消えないもの

僕は遊具ばかりを作って、あまり道具は作らない。道具のデザイナーは、使い手の意識から消えるのが良い道具、みたいなことを時々言う。とりわけデジタルよりのデザイナーに顕著だと思う*1

遊具の場合はどうだろう。例えばけん玉で遊んでいて、けん玉を意識しなくなることはなんてあるんだろうか。ゲームで遊んでいてゲームを忘れることは?楽しさに我を忘れることはあっても、つまり時間感覚が狂うことがあっても、遊具に対する意識は消えないと思う。

翻って道具の場合はどうだろう?僕はベトナムで買った茶碗でご飯を食べるのが好きだ。気に入った形や手触りの茶碗で食べると、紙皿やダイソーの108円陶器で食べるより、ずっと満足できるからだ。そのとき僕は、道具への意識が無いとは思わない。僕にとって良い道具とは、意識したい道具だ。

道具は使い手の意識から消えるべき、これは謙虚なデザイナーの心の現れであって、デザインの実際ではないのかもしれない。良い道具は、芸術と変わることなく受け止められる。遊具もまた、そうなりえるのではないだろうか。

*1:この点については「メディアは透明になるべきか」という本に詳しい。