海外で働くということ

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シンガポールから帰ってきて暫くの間は「やっぱり日本の方がいいでしょ」と言われることが多かった。確かに日本は良いところで、物価も安いし、物流も発達しているし、自然も伝統文化もある。物作りに対する社会の理解もある。だけどシンガポールだって負けてない。気候が温和で、食文化に多様性がある。自家用車がいらないくらい公共交通機関が発達しているし、政府も金融機関もネットでサービスしてくれる。外国人向けの住居には、プールもスポーツジムもある。休暇もとりやすい。労働者として生活するなら、日本より格段に過ごしやすいと思う。

じゃあ日本の良さってなんだろう。究極のところ、国民でいられることだと思う。自分はシンガポールに、労働ビザ(EP)で滞在していた。EPは兼業を許さないから、例えば個人で作った玩具をMaker Faireで販売するような些細なことでも、堂々とやれば滞在資格を失う可能性があった。大学での研究を実用化しようとしても、資産をもたない外国人研究者がシンガポールでスタートアップを起こすのは、資金面で現実的ではなかった。公的な研究費も大学に直接雇用される教員でないと出願できなかったり、芸術の助成金も外国人には開かれていなかったり。作家として、研究者として、自立と飛躍を目指そうとすれば、必ず困難に直面した。妻も配偶者ビザ(DP)で滞在していたので、仕事面で制約を受けることになった。一方、日本ならそうした不自由がない。なぜなら自分は日本国民だからだ。家族のためのビザも必要ない。たとえ無職だとしても国を追われたりしない。さらには参政権まである。

別にシンガポールが厳格なわけでも、日本が寛大なわけでもない。どちらの国も、国民には相応の権利がある、というだけの話だ。国民は国を道具にできるけど、外国人は国の道具として扱われてしまう。よって海外で働くということは、外国人としての不自由を甘受しつつ、母国では得られないもの、得られなかったものを獲得していくことに他ならない。だからこそ海外を経験すべきだろう、さらに世界が小さくなる前に。