好きになるということ

月の初めに休暇を貰って、新婚旅行に出かけた。行き先はイタリア。西洋の奈良・京都だ。文化と歴史を守る偉大な国だから、10年前に行こうが、10年後に行こうが、それこそ100年後だろうが、そこにある感動に変化はないと思う。変わるのは、いつだって感動する人間のほうだ。実は12年前、わずか2日だけローマに行ったことがある。今よりずっと阿保だった頃の旅だから、コロッセオを前にダビデ像のエプロンをつけて満足した・・・という感想しか残っていない。

 

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(ダメな人 2004)
 
そんな僕も35歳になって、古いものの良さがわかるようになったし、ささやかに夫婦で暮らせるくらいにはなった。それにシンガポールに6年も住んでいると、その対極にある文化が輝いて見えるものだ。そこで浮かび上がった旅行先が、イタリアだった。妻はヨーロッパへ行くのも初めてだったから、二つ返事でOKしてくれた。しかも美大出だけあって、美術館などの下調べも喜んでしてくれた。
 

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(そして現地では、石膏像のオリジナルにハァハァしていた。)
 
ローマに到着した僕らは、フィレンツェ、ピサ、ヴェネチアを経て、ミラノを目指した。そして毎日を全力で味わった。見て、聞いて、電車に乗って、スリに怯えて、飲んで、食べて、調べて、尋ねて、歩いて、歩いて、歩いて、ヘトヘトになって。宿に着くと、いつも倒れるように寝た。二人だけの水曜どうでしょうみたいな旅だった。だから時々諍いもあった。でも鳥肌が立つほど感動した。遺跡に、名画に、オペラに、名物料理に、本当の本物に感動した。
 

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(ピサと膝 2016…あんま成長してないか)
 
シンガポールへと帰り、普段の生活へと戻った今、どこの観光地が良いとか、どこのレストランが美味しいとか、旅のベストを切り出して、あれこれ言ってみる気が、ちーっとも湧いてこない。彼の地で過ごした2週間があまりに良くて、イタリアそのものが好きになってしまったからかもしれない。
 
たぶんそれは、人が人を好きになる理由と同じだと思う。性格とか容姿とか、わかりやすい項目を立て、誰かと誰かを比べならがら、人を好きになったりしないと思う。恩を感じたり、利益をもらったりで、人を好きになるわけでもない。一緒に過ごした時間が心地良くて、これからも良い時間を過ごしたいと思うから、人は人が好きになるんじゃないだろうか。
 
そんなことを、柄にもなく思う旅でした。