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未来の飯は、今より絶対に美味い

週末に実写版の攻殻機動隊を見た。酷評する友人も多いけど、僕はけっこう楽しめた。押井版・攻殻機動隊の腑に落ちなさが減って、初見にも優しい素直な映画になったと思う(そのせいでロボコップぽくなったけど)。劇伴音楽は抑制が効いてて特にカッコよかった。比較対象としてふさわしいかは別として、シン・ゴジラより満足できた。
 
一方、今回の観劇をきっかけにしてSFに登場する飯ってマズそうだな、という思いが強くなった。サイバーパンク映画は往々にして、人間と建築が過密で、道路と空気の汚いアジアの街が登場する。そういう街で食べられるのは、粗末な虚構のエスニック料理だ。合成肉や深海魚が食材として使われることも多々あるし、白人や黒人が慣れないチョップスティックでヌードルを啜ったりする。最悪な場合だと、今でいう完全食みたいな、ゲロ風のゲロを食べてたりする。
 
 
 
しかし、アジアに住まう酒飲みの僕からすれば、サイバーパンクに登場する街こそ、安くて美味いものの宝庫なのだ。バトーが犬用の肉を買った街なら、コンビニで買ったビールを屋台に持ち込んで、中華ソーセージ入りの炊き込み御飯と、柔らかく煮込んだハチノスをつまんで、2時間くらいウダウダできそうだ。バンコクだってソウルだってハノイだって、それこそトーキョーだろうがオサカだろうが、不潔で猥雑なのに値段以上の口福が得られるのが、サイバーパンクのモデルとなる街だ。そして今を生きるバイタリティで溢れている街だ。そこには二日酔いの朝に白粥をすするオッさんはいても、時間が足りないとゲロをすする味音痴はいない*1
 
そういう街を舞台にして、なんであんなに悲愴な未来が描けるのか、ちょっと不思議に思えてしまう。LAやNYの価値観でアジアの大都市を眺めると、ああいう風に見えてしまうのだろうか?だとしたら、彼らが気の毒である。僕らは欧米の高級レストランに行っても、白磁の食器が便器みたいだなぁと、口に出しはしないのに。
 
ところで、そもそも美味しそうなSF飯というのはあっただろうか?僕が思いつくのは、ドラえもんの箱庭シリーズ・赤松山だ。スモールライトで入山すると、そこには見渡す限りの松茸が生えている。のび太たちが思う存分、採れたて・焼きたての松茸を味わっているのをみて、子供ながらに垂涎したものだ。ほかにも、ドラえもんには美味しそうな食事シーンが多数登場する藤子・F・不二雄作品が、未来を描きながらも人間味に溢れているのは、食べ物への並ならぬ執着が作者にあったからかもしれない。もちろんA先生にも。
 
 
 
飲み師匠の加賀谷さんが、「徳川の殿様より、俺たちの方が美味しいものを食べてる」と仰ったのを思い出す。ン十年前の名著・壇流クッキングのレシピより、クックパッドの人気レシピのほうが美味しかったりするくらいだ。昔より今のほうが、味はずっと複雑で、飯は遥かに美味しいんだろう。
 
だから思う。合成肉を食べる未来より、電気が味覚を代替する未来より、今よりも美味しく健康的な飯の食える未来が、確実にやってくる。息苦しいカプセルベッドではなく、誰だってふかふかの布団で眠れる未来がやってくる。そうじゃなきゃ、生きる張り合いも、未来を創る甲斐もないよね。

*1:ただし旅行者向けの住環境はひどい。特に香港の重慶大厦とか値段のわりに狭すぎて最悪。