旅の食事

家族旅行で、寿司や焼肉を食べることが増えた。

子どもも食べられて、少し特別感があって、しかも全国どこにでも店がある。そう考えると、寿司と焼肉はずいぶん優秀だ。

以前は、寿司や焼肉なんて、どこで食べてもそれなりに美味しいのだから、わざわざ旅行先で食べるものでもないと思っていた。

それでも選ぶようになったのは、せっかくの旅行だから、家族みんなで同じものを食べて「美味しかったね」と言いたいから。考えてみれば、旅行のような特別な機会でもないと、家族でご馳走を食べに行くことはあまりない。

これまでの経験では、寿司屋なら、地元の人が家族のお祝いや法事のあとの会食に使うような店がいい。個室の座敷があって、駅前というより昔ながらの商店街のなかにあったり、広めの駐車場があったりするところ。焼肉屋も、だいたい同じ基準で選んでいる。

そういう店は、子どもが多少にぎやかでも気兼ねしなくていいし、平日ならたいていゆったりしている。Googleマップでは4.0以上なのに、食べログでは3.0くらい。そんな店を見ると、かなり期待してしまう。

写真は、鹿児島を旅行したときに食べた寿司。大隅半島の中央あたりにある店だった。ここ数年で食べた寿司のなかでも、とくに印象に残っている。

もちろん寿司そのものも美味しかったのだけれど、それ以上に、家族で寛いで食べられたことをよく覚えている。

メダカを飼っている

この春、学生が研究室にメダカを残して卒業していった。実験用水槽のボウフラ駆除のために買われたメダカたちである。何匹もいたので、自宅用と大学用に分け、それぞれの環境で飼い始めて、もうすぐ半年ほどになる。

魚を飼うのは子供の頃以来なので、知らないことだらけで面白い。自分の認識では、メダカといえば、田んぼにいて絶滅危惧がうたわれる銀色のメダカと、ホームセンターでも売っている緋色のヒメダカくらいだった。自分が引き取ったのもヒメダカである。

だが、どうやらここ20年ほどで新品種(?)の開発が進んだらしく、今では金魚や熱帯魚のように、色や形の豊かなメダカがそこかしこで売られている。「そこかしこ」と書いたのは、ホームセンターやアクアリウムショップだけでなく、野菜などと同じように、農地の一角で無人販売されていたり、JAや道の駅などでも売られていたりするからだ。

そうしたメダカはどこからやってくるのかというと、その近所にある個人経営の養殖場である。Googleマップで「メダカ」と検索すると、民家の駐車場だったり、農家のビニールハウスだったり、そういうところに養殖場がつくられ、直売も行われていることがわかる。

自分も変わった色のメダカを育ててみたくなって、選外のメダカを直売所から何匹か買ってみた。しかし、やはり調子の悪いメダカだったのか、1〜2か月で死んでしまった。結局、力強く生き続けているのは、学生が残していったメダカたちである。

メダカは水温が高くなると卵を産むらしく、自分の居室は西日がよく当たるので、春から夏にかけて大量に子メダカが生まれた。そいつらが親メダカになると、さらに大量の孫メダカが生まれるのかもしれない。

ただ、水槽の大きさは一定なので、どこかで共食いになったり、餌の取り合いになったりして、淘汰されていくのだと思う。亡骸は水槽に同居しているエビたちがさっさと食べてしまうし、そもそもヒメダカは一匹ごとの区別がつかない。メダカを飼うというのは、20リットルほどの空間の食物連鎖を管理する楽しみなんだと、最近は思う。

写真は自分が管理している水槽の1つ。

十年一昔

初秋に記事にしたSasu 28という時計が、Tokyo TDC 2026で受賞し、5/16まで銀座で展示されている。悲しいかなブログで自分の作品を紹介してもほとんど反応はないのだが、ぜひ足を運んで見に行ってほしい。何卒よろしくお願いします。 

tokyotypedirectorsclub.org

 

さて、2016年から、線状の物体を制御して文字や語句を表示することの面白さを、自分は夢中になって掘り下げ続けてきた。今年はちょうど10年目になる。そんな節目の年に、思いがけず大きな賞をいただくことができ、とても感慨深い。

この10年がどのような10年だったかというと、とにかく生活が変わり続けた。まず結婚があり、新婚生活があった。二人ともシンガポールが大好きだったが、未来のために日本へ帰国し、現在の大学で働き始めた。母国が異郷の地のように感じられ、なかなか馴染めなかった。最初の夏休みには母の手術もあった。ようやく本腰を入れて働けるぞと思ったところで、コロナ禍がやってきて、その最中に子どもが生まれた。みんなもそうだったと思うが、3年近く、うまくいかない日々が続いた。当時はちょうど厄年でもあった。暮らしていくだけで精一杯だった。徐々に子どもが言葉を覚え、コロナ禍もひとまず終わりを見せた頃、仕事でもやりたいことが少しずつできるようになってきた。それに安堵する暇もなく、今度は人のためにする仕事も増えていった。この春からも、また新しい仕事をすることになり、目が回る思いをしている。

そんな10年を、自分はこのブログにしたためてきた。喜んでいる日も、怒っている日もあった。でも、どんな時でも暮らしには妻がいた。文字が大好きな妻がいたからこそ、この10年の日々があり、そして今回の受賞へと至ったのだと思う。感謝してもし尽くせない。