Wish

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ディズニー100周年記念映画のウィッシュを見た。

主人公は、王の専制を止めようとする王民のアーシャ。敵は、王国の建国者・マグニフィコ。マグニフィコは両親が惨殺された過去をバネに強大な魔法を習得。地中海の離島に自身が管理運営するロサスを建国し、移民を受け入れ、社会保障を充実させ、平和裡に繁栄させる。ロサスに住む条件は1つ。18歳の成人時にウィッシュ(夢や希望)を王に預けること。ウィッシュを預けた王民は、願いを叶えようとする欲望が失われ、王政に対して従順になる。預けられたウィッシュは、月に一度、王民から一人が選ばれて、魔法によって叶えてもらうことができるのだが、その選抜は、完全な王の恣意。ここにアーシャは反感を覚え、ディズニー精神の象徴たるスターの力を借りて、国王を打倒していく。

自分が面白いと思ったのは、移民三世(?)の主人公と、移民一世(?)である祖父との対比。祖父はウィッシュを預ける対価としての安寧な暮らしに満足していたが、それを当然として育った主人公は、自己実現できる社会を願って、王と対峙する(So, I make this wish to have something more for us than this)。こうした構造は、かつて自分が暮らしていたシンガポールの状況を思い出させる。いくら他国から独裁者と言われようと、建国世代に国父リー・クワンユーを悪く言う人たちはいなかった。しかし、繁栄を謳歌するシンガポールの若者は、より自由な社会、民主的なリーダーシップを求めていた。

翻って自分達にとって、何がロサスであり、マグニフィコ王だったりするのかを考えてみるのも面白い。たとえばGAFAはどうだろう?

ディズニー作品はいつだって賛否両論だ。特にここ最近のディズニー映画は、まるでスマホのOSのように、半ば強制的に価値観をアップデートさせようとしてくる。それが受け付けない人もいるだろうが、ディズニー100年のレガシーを再解釈、最近の言葉で言えば「訂正」しながら、新しい話を紡いでいけるのは、俊英が集うスタジオあってこそ。

それに自分はミュージカルが好きなので、ディズニーが与えてくれる映像と音楽には、いつだって満足してしまう。日本語版の配役と翻訳も、一癖あって記憶に残るようにできているので、それはそれでアリだ。今回はジーニー役の山寺宏一が主人公の相棒としてキャスティングされているので、絶対の安心感があった。彼の声がした途端、自分と同じ映画を見ていた人々たちは、劇場で安堵の笑いを漏らしていた。