こんなポスターが欲しい

plastic model

プラモの箱が棚に積まれているだけのポスターが欲しい。子供の頃に憧れた、模型屋に住むという夢を叶えたい。上の写真は手持ちのプラモで作ったプロトタイプ。積みプラモには心理的/視覚的な圧迫感があるけれど、平面になるとスッキリする。さしあたって1/35の戦車、1/48の戦闘機、あと1/700の艦船をコンプリートしたポスターが作ってみたい。静岡の模型会社さんにお願いしまくったら、作らせてもらえたりするのだろうか?同じ発想で岩波文庫が全巻揃ったポスターも欲しいので作りたい。

MATさいでりあ

先週末にMedia Ambition Tokyo 2018が閉幕した。作品を見てくれた皆様への御礼と、展示に携わった方々への謝意と、無事に終わったことへの安堵で、胸がいっぱいだ。

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PHOTOGRAPH BY KOKI NAGAHAMA/2018 GETTY IMAGES

今回の展示は、自分にとっては青天の霹靂で、昨年末にいきなり決まった。そもそも六本木ヒルズにはORFくらいでしか行ったことがなく、Media Ambition Tokyoは自分がシンガポールに渡ってから始まったこともあり、どういうイベントか見当もつかなかった。いろいろ考えた上で、2017年に作った2作品を置かせてもらうことにした。

自分の作品は、東京シティービューの東側、展望台でも細まった順路に置かれることになった。それが、旅館の渡り廊下に工芸品が飾られているみたいで、ちょっと面白かった。ガジェットの実装先は、公共空間よりも私生活にあるから、自分にはふさわしい場所だと思えた。そしてなにより、朝日を仰ぐ場所だったのが良かった。

自分はよく日の出的・日の入り的という観点で表現や技術を捉えている。日の出的というのは、始まりの終わりであり、不安と同じだけ希望を抱えているものだ。日の入り的というのは、終わりの始まりであり、安堵とともに高揚を覚えるものだ。甲乙をつけるものではないが、いつだってAmbitionは曙光とともにある。

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設営最終日・2月8日の朝焼けと、朝日を見つめるCD Prayer。展示初日は、ユニコーンの「服部」がプレイされていた。

それにしても、こんなに多くの人が来てくれるとは思わなかった。自分は岐阜で育ち、藤沢で学生時代を過ごし、そのあとすぐシンガポールに渡ってしまった。だというのに、高校や大学時代の仲間をはじめ、シンガポールで出会った友人たちまで足を運んでくれた。学生時代の恩師・脇田先生には同じ展示者として再会できたし、尊敬する久野ギルさんにいたっては大仏のためにSix Strings Sonics, TheのCDをお貸しいただけた。感激しかない。

会期が終わってしみじみ思う。主催者も、来場者も、展示者も。みんな東京が好きなのだ。もちろん僕も大好きだ。大好きな街だから、離れるときは、少し寂しかった。そんな街のドレスアップに、日々のリフレッシュに、MATは咲いていたのだろう。

春はもうすぐだ。

古いノートから

今週はチャイニーズ・ニューイヤーの関係で、職場も人が少なく、ゆっくり仕事をすることができた。せっかくの機会なので、新作の準備を始めたり、クロッキー帳やEvernoteに書き留めた作業ノートを整理して過ごした。

古いノートを読み返すうち、妙に力のこもった文章を発見した。2016年の春から夏にかけての試行錯誤を、その年の秋に振り返って書いたものだ。とりとめのない文章で気恥ずかしくもあるが、面白いところもあるから転載しようと思う。

今年は春から時間ができて、これまでのプロジェクトを整理することができた。手始めに、長らく進歩のなかった「踊る箱」を見直すことにした。2013年の夏に始めた、自ら転がり回る立方体を作るプロジェクトだ。手探りで、寸暇を惜しまず取り組んだけど、どうにもうまくいかなかった。
 
失敗の理由は多々ある。創造力と技術力の欠如で、コマ撮りアニメやCGができること以上のイリュージョンが作れなかったせいもある。開発中にMITやETHからずっと高性能な立方体が登場してしまったのも外因としてある。端的に、プロジェクトに専念する時間がとれなかったのも大きい。
 
最も根の深い問題は、無機物が動くと生命感が宿って面白いかも、という気持ちでプロジェクトをやっていたことだ。こっそり「非生物生物」なんて呼んだりもしていた。幸い2014年・2015年と2年も停滞していたおかげで、ここに疑問を持つことができた。
 
そもそも人間は、詩人じゃなくたって、カーテンが風に揺れているだけでも、雨粒が窓をつたっているだけでも、そこに生命や神秘を感じることのできる生き物だ。そんな人間にとって、強いて人工物に生命感を宿らせる行為は、どういうことなのだろうか?
 
成功例からあげてみよう。Macのスリープランプは成功例だと思う。ホタルみたいに点滅するから、愛嬌がある。necomimiはどうだろう。人間がアニメ化する感じ、に近いのかもしれない。
 
もちろんバイオミメティクスや、アニマトロニクスという分野があるくらいだ。機械やマテリアルやサイエンスで生物の機能を再現することは面白いし、技術的な挑戦もあるし、擬人化すると可愛くなるし、親近感も湧いてくるのは理解出来る。
 
一方で、車やバイクは生命感がないけど、我々は愛車・愛馬と呼んで可愛がったりする。
 
本物の生命と、生命感の違いは、死だ。愛車が壊れたら、それは深い悲しみに襲われる。パソコンが壊れたら、片足を失ったかのように、生活がままならない。だけど大切な人を亡くした時に比べれば、その辛さは圧倒的に浅い。
 
リアルとリアリティの違いと同じだ。VRは何度でも同じ環境を再生できるから、現実ではない。でも、私たちの生活に二度はない。
 
今の自分は、単なる機械にも愛着を抱いてしまう人間のほうに、より強く興味がある。小説で喩えると、細胞を擬人化したパラサイト・イヴより、人間がウィルス的に行動するヒュウガ・ウィルスにこそシンパシーがもてる。ロボットなら、ASIMOよりも工場用ロボットアームの方が、自然な愛着を持つことができる。
 
こうして「ロボットと生命感」というテーマが冷めていく一方で、新たに自分のなかで「ロボット=時間を与える装置なのでは?」という想いが熱くなってきた。

そして踊る箱の解体を始め、30個弱のサーボモータを手に入れた。これを元手にボトムレス・ジョイスティックロボタイプ: もじげんとすうじげんを作った。

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それがきっかけになって、2月25日(日)まで東京は六本木ヒルズ52F展望台で開催されている、Media Ambition Tokyo 2018に、ロボタイプ: 7x7CD Prayerを出展させてもらえている。東京を代表するクリエイティブ系企業や集団があつまって、彩の豊かな展示になっています。伝え聞くところによると、平日も週末も大盛況とのこと。自分の作品も埋もれず健闘しているようです。嬉しい限りです。

会期も残すところ10日ほど。たまには午後出勤にして、朝から展示はいかがでしょうか?冬は空気も澄んで、夜景がたまらなく綺麗です。六本木はレストランも多いですし、仕事帰りの夜デートにも良いですよ。

ぜひお立ち寄りください。

mediaambitiontokyo.jp