カメラ熱

カメラ熱という恐ろしい病気がある。アジア圏の成人男性に多く見られる恐ろしい風土病だ。発見から既に150年以上も経過しているが、いまだ治療法が確立されていない。一度発症すると生涯にわたって患うため、家計によっては難病に指定されている。現時点では、新型のカメラを買う、ライバルメーカーの欠点をあげつらう、ライカを買って解脱する、といった治療が対症療法ながらも有効とされている。

さて。僕が初めてカメラ熱に感染したのは2007年の夏である。ブラジルでの展示に向けて記録用のデジカメが欲しくなり、散々悩んで富士フイルムのFinepix F31fdを買った。F31fdはコンパクトで、バッテリーの持ちがよく、当時にしては高感度にも強く、なにより色味が気に入って多くの写真を撮りまくった。

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最後はレンズに水滴が入って使えなくなっちゃったんだけど、今でも一番好きなカメラだし、35mmという画角が好きになったのもF31fdのおかげだ。(ちなみに2001年にFinepixの1700Zを買ったんだけど、こいつは画質が悪く、画角も狭くて、まったく熱を帯びませんでした。)

二度目に発症したのは、2009年の冬。だんだんコンデジの画質や操作感に飽き足らなくなって一眼レフが欲しくなり、キヤノンの EOS Kiss X3を買った。センサーが大きくなったぶん、写真の密度や立体感が段違いにアップして、嬉しくなって撮りまくった。3度目の発症は2012年の夏で、持ち歩き用にまたしてもキヤノンのPowershot S100を買った。あまりにクソすぎたiPhone 4のカメラと比べたら、S100の画像は驚くほど綺麗だった。これまた旅行や出張に行くたびに撮りまくった。その後、2015年の夏にも発症したのだが、ストロボとレンズの購入、S100の修理によって治った。

昨秋にiPhone 7を買ってからは、もうほとんどiPhone 7で撮影している。毎日持ち歩くものだし、写真の画質も悪くないし、防水ついてるし、ネットにつながるから、iPhone 7以上に楽なカメラって無いと思う。キヤノンのカメラは、もう差し迫った必要がないと使わなくなった。

だというのに、ここにきて再び、カメラ熱がやってきている。なぜなら、遂に富士フイルムの一眼が4K動画に対応したからだ。4Kがとれたら仕事にも生かせるし、ミラーレスだから出張時にも持ち運びやすいぞ。つまり、いよいよ富士にカムバックする大義名分ができたわけだ。そしたらもうヤバくて、暇があればカタログを眺めたり、価格.comをチェックしたり、自分用のAmazon 欲しいものリストにアイテムを追加したり削除したりして、思春期の子供みたいにヤキモキしている。

麦から育てる

SARA

 
大学2年生のときにCGを専門とする研究室の門を叩いた。CGアニメとかVFXとかゲームとかが勉強できるのかな。そんな気持ちで入ったら、CGを数式から書く研究室だった。ラーメン屋に修行にいったつもりが、製麺所をとおりこして農家だった。それくらいのギャップがあった。麦から育てるのか・・・と思うと気が遠くなって、一学期ももたず脱落した。
 
そのラボには、たったの数ヶ月しか在籍しなかったけど、そこで耳にした2つの言葉を、今でも忘れずに覚えている。
 
ひとつは「人生は短いから、向いてないことに時間を割くのはやめましょう」という先生の言葉。もうひとつはPhotoshopが使えるのは技術じゃない、Photoshopを作れるのが技術なんだ」という研究室OBの言葉。
 
15年たっても覚えているくらいだから、言われた時分は相当悔しかったんだと思う。とはいえ、大学院に入ったら時間を割きたいものが見つけられたし、働き始めてからは麺とスープからラーメンを作るような経験ができている。人生は短いとはいえ、学ぶに遅すぎることは無いし、ありがたいなと思う。
 
ちょっと前に、ピクサーの創業者の回顧録を読んだ。噂に伝え聞く通り、彼らは麦からラーメンを作っていた。ん十年もかけて。それを知れたのが、今の僕には良かった。
 

これから新種の麦を育て始めて、究極のラーメンができるのはいつだろう?10年後?30年後?いつになるかわからないから、とりあえず健康には気を使わないといけないな。そう思うと、年明けからの節制生活にも身が入る。ようやく5kg痩せました。

徳の外需と内需


昨年度までシンガポールで一緒に働いていた安さんのブログが面白い。安さんはSNSで街宣活動に励むタイプの人じゃない。だからこそ安さんが何を考えているのか、むしろ気になる。そんなわけで彼がブログを始めて以来、毎週更新を楽しみにしている。
 
最近の記事で特に面白かったのが、「徳コイン」という話だ。内部の評価と外部から評価を、組織に所属する個人としてどうやりくりするか、気づかいの安さんらしい視点で綴った文章だ。

良い行いをすると、徳が積まれるという。
それにならって、組織の中で仕事をすることで得られる評価や信頼、感謝をまとめて『徳コイン』と、勝手に呼んでいる。

徳コインの貯め方は2種類あって、1つが組織の中の人のための仕事をすること。後輩の世話をしたり、環境を整備したり、頼まれごとを手伝ったり。必要なことではあるのだけれど、これで貯まるコインは、実はその組織の周囲でしか使えない。

もう1つの方法が、自分の仕事をして、組織の外の人に認められること。コンペに勝ったり、賞を獲ったり、バズったり。このコインのほうが、得るのは覚悟がいるけれど、一度の量が多いし、使える範囲が格段に広い。

(徳コイン  https://yskntr.tumblr.com/post/155894766308/%E5%BE%B3%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%83%B3 より)

この記事を読んで、一つの記憶が蘇った。それは僕が学生だった頃の話だ。ある先輩が、卒業後に海外で働くことに決めた。他の先輩はみんな国内で就職していたから、不思議に思って理由を聞いた。すると先輩は「外貨を稼ぐと、日本のためにもなるんだよ」と教えてくれた。
 
その言葉の意味は、実はまだ良くわかっていない。僕はシンガポールドルで給料をもらってるけど、日本のためになってるのか実感は無い。
 
だけど、外から徳コインを集めると、個人だけでなく組織全体が豊かになることは、僅かな経験からだが知っている。誰かが徳コインをもらってくると、他の人も幾らかゆとりをもって働けるようになるのだ。僕も職場に優秀な仲間がいてくれたおかげで、どれだけ助けられたことか。逆に外からの徳コインが途絶えると、組織が芥川龍之介羅生門的に、ギスギスするのも知っている。
 
安さんと同じで、どっちの徳コインが偉いとか凄いとか、そういうのはどうでもいいと思う。でも、外からの徳コインがあるかないかで、組織の余裕であったり、文化の豊かさが変わってくるのは確かだ。