今朝NHKワールドを見ていたら、OriHimeという分身ロボットが特集されていた。
このロボットを見て、すぐさまテレノイド(大阪大学の石黒浩教授らが開発するテレプレゼンスロボット)が思い浮かんだ。
OriHimeとテレノイドは、ともにユーザの存在感を遠隔地で再現するために作られたロボットだ。老若男女、人種を問わず、どんな人に使われてもいいように、人間らしさの最大公約数を狙って、ミニマルにデザインされている。だから肌の色は完全な白で、顔も人間ともつかない造形になったのだろう。モーターが増えると普及が望めないため、可動部位を首と手に限定して、仕草で感情を表現するようにしたのではないだろうか。
僕が面白いなと思ったのは、類似する目標に向かって2つの組織がロボットを開発したら、最終的なデザインまで似てしまったところだ。問題(遠隔にいる人とテレビ電話以上のコミュニケーションがしたい)と解決手法(人型ロボットを使う)が似ていれば、導かれる答えが類似してもおかしくない。収斂進化(複数の異なるグループの生物が、同様の生態的地位についたときに、系統に関わらず身体的特徴が似通った姿に進化する現象 *1 )とは、まさにこのことなんだと思う。
その上で疑問に思ったのは、OriHimeとテレノイドが、問題を解決するために最適なデザインなのか、という点だ。万人が憑依可能という条件があるならば、彼らの選んだデザインは正しいのだと思う。でも、人型じゃなかったらどうなんだろう。ピクサーのアニメを見れば、顔も手もないライトスタンドだとしても、人間らしく振る舞えることがわかる。現代の技術は、無機物を生物的に動かすなんて難しくない。その上で、ライトスタンド型ロボットと、ミニマルな人型ロボット、どちらが家にあって嬉しいだろうか。僕は前者だ。
夢見がちな意見だと、新技術が彼らのデザインを更新するかもしれない。OriHimeもテレノイドも極めてミニマルにできている。だが、もし肌の色や顔の形が自由に変更できる技術やマテリアルがあったとすれば、それでもミニマルの必要はあるのだろうか?コスト以上の何かが、そこにあるのだろうか?
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以上オチはないのだけど、多くの疑問を抱かせる、良い刺激をもらったので、久々にブログに書くことにした。