コーヒーと仕事

先日書いたコーヒーの記事が、思いがけず好評だった。あくまで備忘録のつもりで書いたものだったのに、ハンドドリップの楽しさが伝わったのなら、嬉しい。

ハンドドリップの魅力は、淹れる工程そのものにある。そのうえ特別な道具を必要としないから、間口が広い。自分も最初は、最安のドリッパーとケトルから始めた。職場での喫茶に、お金をかけたくなかったのだ。ドリッパースタンドも廃材を使って自作した。

 

長い間、自分のためだけにコーヒーを淹れていた。それで十分に満足していた。なのに、水曜どうでしょうのカメラマンを務めた嬉野雅道の本に影響を受けて、ある時、ノマド的・ゲリラ的に職場でカフェをやろうと思い立ったのだ。

人にふるまうとなると、さすがに味にも気を遣う。道具を買い替え、所作を見直し、試行錯誤を重ねた。構内を移動しやすいようにミールカートも廃材で作った。自分はなんでも作るから、端材には事欠かない。

 

ゲリラカフェは楽しかった。夕方になると学内のあちこちに出没し、小一時間ほどコーヒーを振る舞った。野点をしたこともある。奇異な行動ではあったが、コロナ禍もあって交流不足だった学生たちと、コーヒーを介して接点を持てたのは、なんとも幸せだった。ただ、仕事が立て込んでくると、そんな余裕など消し飛んでしまう。それで、いつの間に、あっという間に、カフェは店じまいとなった。

残ったのは、改められた道具と手癖だけ。でも、それが今の自分に余裕をもたらしてくれている。コーヒーのドリップは、お湯を沸かす時間を除けば、3分で決着する。その3分間は、コーヒーのことだけに集中できる。仕事の焦燥を、いっとき忘れさせれてくれて、気分転換になる。

学生時代から今に至るまで、どれほど多くのコーヒーを飲んできただろう。コーヒーが支えてくれたおかげで、自分はこの春、ひとつ仕事の節目を迎えた。それで、何か記念になるものをと思い、銅製のコーヒーメジャーを買った。これがくすむ頃には、自分も相当くすんでいるだろう。それがいいなと思った。