あいちトリエンナーレの記憶

名古屋市長選に思うところがあり、2019年9月24日に書いたメモを元に記事を起こすことにした。

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秋の彼岸に帰省して、その足で「あいちトリエンナーレ」を見にいった。時間の関係で全ては回れなかったが、愛知県美術館名古屋市美術館、それと豊田市美術館の作品は見ることができた。

スタートから2ヶ月弱が経過したトリエンナーレは、端的に言えば、壊れていた。主催者が中止した作品、作家が中止した作品で、2割強が欠けていた。会場から消えた作品には、多くの主張があるのだろう。一方、展示を継続している作品の多くは、何も主張がないのだろう。そんな皮肉を抱いたからこそ、台湾の防空の日をドローンで撮影した映像に出会えて良かった。本当の政治的緊張が抑制的に表現されていて唸った。

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都合がつけば、トモトシの作品も見たかった。WIRED CREATIVE HACK AWARD 2016のファイナリスト作品のうち、自分は唯一、トモトシのフルーツとしてお金を売るが好きだったからだ。

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2日間の旅程を終えて自宅に戻ると、またひとつ作品が消えていた。今後は「誰が制作費と制作機会を工面したか」という点にまで、火の手が回るのかもしれない。その先にあるのは「資本家にしか表現の自由がない未来」だ。それにイエスと言うのは、高須院長だけであって欲しいが。

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2021年4月の名古屋市長選の結果をみると、もうひとつの記憶が蘇る。それは同時期に豊田市美術館で併催されていたクリムト展の盛況ぶりだ。体感でトリエンナーレの5倍は混雑していた。これが紛れもない現実で、現実が現代(美術)と並置されていた。