始まりの終わり

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2020年が終わろうとしている。今年もまた新たな経験と責任を重ねる1年だった。幸いがあるとすれば、昨年の努力の幾つかが芽吹いたことだ。その対応に多忙を極めたが、徒労でなかっただけマシだと思う。

新型コロナウイルスは、自分にとっても悪影響を与えている。まずもって作品の展示機会が失われた。加えて大学の封鎖、授業のオンライン対応、海外からの荷物の遅配、イベントのリスケなどがスケジュールを圧迫し、制作に十分な時間が割けないでいる。その皺寄せは年末年始にやってきて、明日は大晦日だというのに、息つく暇もない。

と、そんな泣き言も言ってられない。もっと辛いのは学生だ。大学はオンライン授業によって、(かろうじて)教育を提供できている。しかし学生が大学に期待していたのは、豊かな学生生活だ。彼らが活動を制限することによって、社会全体の感染拡大が防げていることを、国民は忘れてはいけない。政府は学生たちに謝金を払ってもいいんじゃないだろうか?

来年はどうなるだろう。まったく楽観はできない。だから生活だけは、なるべく楽に、できるだけ楽しくしたい。2020年は二度もギックリ腰になった。新コロ対応で座り仕事が増えたせいだ。傷んだ体を楽にしてくれたのは、インフィニティチェアと、マッサージガンだ。後者は特におすすめで、自分はAmazon廉価な模造品を買ったが、十分な効果を感じている。安物買いの銭失いを恐れるなら、マイトレックスリバイブが安心だろう。

一方で、心を楽しくさせてくれたのは、太田上田だ。Youtubeで過去放送のダイジェストを見るうちにはまってしまった。バックナンバーを見るためにHuluにも加入してしまった。中京テレビがこんなに面白い番組を5年もやってたなんて知らなかった。

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こうしたもので心身を癒しつつ、2021年も創作に励んでいきたい。

 

最後に、2020年の制作物を、どうかご高覧ください。

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それでは皆さん、良いお年を。来年もよろしくお願いいたします。

 

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Maker Faire Tokyo 2020に参加した

今月初頭に開催されたMaker Faire Tokyo 2020に参加した。学生の作品を展示する予定だったが、コロナ禍の影響で厳しくなり、残念だけど自分の作品のみを展示した。

この作品の詳細については、いずれ機会を見て文章にしようと思う。ところで、Maker Faire Tokyoに参加するのは、実はこれが初めてだった。規模こそ巨大だが、雰囲気はOgaki Mini Maker Faireと大きく変わらないと思った。ものづくりの数寄者たちが、今年一年の成果を引っさげて、とても楽しい展示をしていた。

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そして、これは再確認なのだけど、自分は最寄りのMaker Faireに参加するのが好きだ。それはSingapore Maker Faireのおかげである。Maker Faireは、学会やアートフェスより、ずっと世の中に開けている。だから普段は会話もない街の人とも、フランクに話ができる。それが楽しいから、定期的に参加したくなる。

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今回の展示で、なにより天晴だなぁと思ったのは、Maker Faire Tokyoの運営だと思う。世の中はリスクを回避するために、過剰なまでの自粛状態にあるけれど、適切な防止策をとれば、ちゃんとイベントができるんだと世に示してくれた。怯まず、立派だった。作るっていうのは、こういうことだよね。

既視感と模倣

大阪万博2025のロゴが決まった。東京オリンピック2020のエンブレム(佐野案)と異なり、SNS上では概ね好意的に受け止められている。なぜだろうか。

大阪万博2025のロゴをみて、自分は「村上隆だ」と思った。Twitterを見ると、「コロシテっぽい」と言う人、「ムックっぽい」と言う人、「キャラメルコーンっぽい」と言う人、それこそ人の数だけ「・・・っぽさ」が発見されている。つまり万博2025のロゴは、我々にとって理解しやすく、既視感があるものなのだと思う。だからこそ、こんなにもイジられる。

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一方、東京オリンピック2020のエンブレム(佐野案)があげつらわれたのは、デザインの模倣である。佐野案と類似するロゴが外国に存在し、かつ佐野の過去作での模倣や剽窃が発掘されたため、採択されたエンブレムを取り下げる事態となった。

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既視感と模倣の間には厳然とした差異がある、と思いたい。しかし現実での境界は曖昧だ。自分は若い頃に、倉木麻衣宇多田ヒカルのパクリ、矢井田瞳椎名林檎のパクリ、みたいな言葉を良く耳にした。それらの多くは事実ではなく、ただの中傷でしかないのだが、「っぽさ」には「パクリ」と誹られる危うさが、否が応でも付き纏う。パイオニアじゃないのは確かだし、他者に真実なぞ知りようがないのだから。

しかし万博2025ロゴには、その危うさが見られない。それはたぶん、既成のアレンジではなく、越境のチャレンジがあるからだと思う。ナショナルイベントのロゴとしてありえなかった異形を持ち出したことが、ポジティブに働いているのだろう。アニメのキャラクターであれば、one of themのクリーチャーとして埋没したと思う。

いずれにせよ、こうしたチャレンジを可能にしているのは、一にも二にも、太陽の塔があるからだ。近代 vs 原始の構図は、令和になっても輝きを持って生きている。そして今回も、進歩や調和が負けて、野蛮が勝ってしまうのだろう。