亜酸化窒素

朝7時に眼を覚ます。目覚ましをかけてはいるが、ベルに起こされた、という感じはしない。むしろ、目覚めたらベルが鳴っていた、という感じだ。そこに不思議な幸福を感じつつ、朝食を摂る。今朝は飲むヨーグルトも用意した。成人して以来、どうも僕は乳飲料が苦手になってしまった。特にスタバのフラペチーノのようなものは気持ち悪い。だが飲むヨーグルトはいける。おかしなものだ。

晩に届いたメールに眼を通し、その後、湘南台の歯医者に向かう。今日は咥内に現存する最後の虫歯を治療する日だ。笑気ガスと呼ばれる亜酸化窒素を鼻から吸引すると、徐々に全身が気だるくなる。歯茎に麻酔を打たれても痛みはせず、液体の苦さだけが舌に伝わってくる。ほどなくして虫歯の周囲の感覚が鈍くなり、まるで自分の身体ではないかのような気分になった。そして歯が削られてゆくのだが、まったく痛みを感じない。そればかりか、治療自体が、どうでもよくなってくる。まな板の鯉がごとく、為されるままに治療は終わった。後日、金属で詰め物をするらしい。

そのまま大学に行っても良かったのだが、歯の感覚が鈍っており、とりわけ大学でやるべき仕事もなかったので、帰宅することにした。昼食を済ませて、読みかけの小説を終わりまで一気に読んだ。最後は想いが溢れ出して、無情の気分に包まれた。

今日はあまり生産的な一日ではなかったが、亜酸化窒素や麻酔といった神経を惑わす体験を経験できたのは良かった。思うにここ10年、僕は麻酔を体験していない。それがいかに人間の平常の感覚を狂わすのか、口の中で如実に知ることができたのだから。人間は意味の呪縛から逃れられず、それが神経の惑いであったとしても、狂いが意識されることで一種の感情を生み出してしまう。安藤英由樹氏らの作品を体験したときに噴出する、「なにこれ?」としか言い様のない、腑に落ちない感じは、今日の体験と極めて似ていた。