終戦から80年がたった。自分が生まれたのは1981年。今から考えると、戦争からわずか36年しかたっていない。その頃には、戦争に責任を持って関わっていた人がまだ生きていた。昭和天皇も生きていた。彼らが鬼籍に入り、昭和から平成になり、20世紀が終わる頃に石原慎太郎が都知事になった。自分は高校生だった。ずいぶん勇ましいことを言うものだから、従軍経験があるのかと思っていたが、実のところ1932年生まれ。終戦時で13歳だと知ったとき、妙に失望したのを覚えている。なにせ、自分の祖父より若いのだ。祖父は戦中、国内の鉄道連隊にいて、平成の後半に亡くなった。戦中の話を身近に聞ける唯一の肉親だったが、あまり多くを語らなかったし、自分も聞こうとはしなかった。
30代の頃、自分はシンガポールに住んでいた。シンガポール自体は今年で建国60年だが、その前には日本の侵略があり、軍民ともに多くの犠牲者が出た。その怒りと悲しみを、建国の父リー・クワンユーは「Forgive, but never forget」として決着させた。だがリー・クワンユーも、10年前、建国50年の年に亡くなった。
世界から戦争はなくならないのに、戦争を経験している人は日本から(もちろんシンガポールからも)減り続け、やがていなくなる。戦争の記憶は、もはやメディアを通して伝えられるだけになる。たとえCGやVRで精緻に再現できたとしても、それは誰かの解釈の結果であって、事実でも現実でも真実でもない。並行して、歴史を生成AIが汚染し始めている。戦後80年間、なかでも自分が生きた44年間の無事に感謝しながらも、その先のことを考えると、和やかではない。