没頭

年度末に、20年ほど前に参加していた研究プロジェクトの同窓会があり、それがきっかけで研究室に入ったことをふと思い出した。今日の記事は、その時のメモを再構成している。

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大学4年のとき、自分は、のちに博士課程までお世話になる研究室に所属することになった。当初、研究室には授業のある日だけ顔を出していた。その他の日は語学の勉強をしたり、週末は家電量販店で売り子のアルバイトをしていた。夏休みは夏休みで、実家に戻って近所の塾講師のバイトをして過ごした。

夏休みが明けて後期が始まってしばらくした頃、研究室の常勤研究員にこう言われた。

「まだ、研究室やめてなかったんだ」

夏休みの間、他のメンバーたちは必死に映像作品を制作していた。自分はほとんど関与できていなかったから、メンバーの不満をその研究員が代弁してあげたのだろう。その作品は後にいくつかの映画祭で受賞し、仲間たちはしっかり成果を出した。他のプロジェクトの先輩や後輩たちも、研究や制作で活躍し、世に出て成功していった。その姿を横目に見ながら、自分の中には複雑な思いが残った。そのわだかまりが、修士への進学を決意させた。

ところで、福沢諭吉の『学問のすゝめ』に、こんな言葉がある。

「人は万物の霊にして、動物に異なるところは、ただ学問あるのみ。学問なき者は、すなわち禽獣に異ならず。」

つまり、「志や学びを欠いた人間は、動物と変わらない」という意味だ。 学生にとって本当に大切なのは、授業でいい成績を取ることでも、バイトで自活することでも、それを誇りとすることなく、学問をすること——すなわち「先の見えないことに挑戦し、没頭すること」だったのだと、今では思う。

以前に書いた通り五里霧中の修士時代であったが、その中にあって、三菱信託銀行の給費型奨学金が受けられたのは僥倖だった。研究や制作ではいっさい芽は出てなかったが、授業だけは抜かずにやってたので、掬ってもらえたのだ*1

理事からの「奨学金で、学生として普通に暮らしてください」という言葉が妙に記憶に残っている。確か、飲み会にせよ、旅にせよ、学生としての機会損失があれば奨学金で解消して欲しい、という趣旨だった。

その言葉を受けて、自分が何に使ったかは思い出せない。ただ、奨学金をもらえるようになったあたりで、イトーヨーカ堂の婦人服売り場でのアルバイトを辞めたのは覚えている。たぶんその頃から、自分がしたいことに没頭するようになったのだろう。

*1:もちろん給費型奨学金の大前提として、家計が豊かではないという条件がある。